1873年6月11日、第一国立銀行の創立総会。資本金は2,440,800円。翌12日に渋沢栄一が総監役となり、営業の開始は7月20日、開業式は8月1日。第一銀行が1942年に刊行した年表には、この順番がそのまま並んでいる。制度と組織の始まりは、こういう日付の連なりとして残る。

経済記者を三十五年続けて、人物の功績を一行で書くよう求められたことが何度もあった。渋沢栄一は何した人か。検索の窓に打ち込まれるような短い問いに短く答えるのは、記者の仕事のうちでも難しいほうである。かつて取材ノートの日付を取り違えて訂正したことがあり、それ以来、人の名前より先に日付の順番を並べる癖がついた。当時の新聞縮刷版や年表を読むときも、まず並べるのは日付である。

1873年6月、総会から開業式まで

当時の紙は残っている。渋沢史料館の企画展「私ヲ去リ、公ニ就ク ―渋沢栄一と銀行業―」では、第一国立銀行創立証書(1873年6月11日、みずほ銀行所蔵)と、総監役就任契約書草案が紹介された。草案は渋沢の直筆である。証書に記された創立の日と、草案に残る役職の名。その時、何が起きていたのかを二枚から読むなら、条例という条文が先にあり、そこへ資本と人が入り、組織が動き出す、という順番になる。

第一銀行年表に残る1873年の四つの日付
日付 出来事
6月11日 創立総会(資本金2,440,800円)
6月12日 渋沢栄一が総監役に就任
7月20日 営業開始
8月1日 開業式

1872年、国立銀行条例という仕組み

渋沢は大蔵省で貨幣・銀行制度に関わり、1873年に民間へ移っている。その拠点が第一国立銀行だった。国立銀行という名であっても政府の銀行ではなく、条例に基づいて設立された民間の銀行で、当初は金貨との兌換を前提とした紙幣を発行した。条例そのものは大蔵省の名による明治5年刊『国立銀行条例』として国立公文書館に公開資料として所蔵され、二冊が請求番号付きで登録されている。制度の原本が公開されているという事実は、功績の話を人物から条文へ一度戻すための手がかりになる。

1876年の改正、4行から153行へ

仕組みは長く同じではなかった。1876年の条例改正で金貨との兌換が不要になると、国立銀行は当初の4行から153行へ広がる。日本銀行金融研究所貨幣博物館のテーマ展「にちぎん券発行140周年 紙幣統一への道すじ」解説シートは、1872年の条例から1876年の改正、1899年の紙幣統一までを一本の線として説明している。金貨兌換を不要とした制度変更と、4行から153行への増加を分けずに読むと、改正の大きさが見えてくる。

国立銀行の数:1872年の条例制定当初と1876年改正後 国立銀行の数:1872年の条例制定当初と1876年改正後 単位:行 0 50 100 150 200 条例制定当初 1876年改正後 4 153

国立銀行の数:1872年の条例制定当初と1876年改正後(単位:行)
項目 設立された国立銀行数
条例制定当初 4
1876年改正後 153
出典:テーマ展「にちぎん券発行140周年 紙幣統一への道すじ」解説シート|日本銀行金融研究所貨幣博物館/国立銀行条例1|国立公文書館デジタルアーカイブ

1877年、択善会という場

渋沢の仕事は、一行を立ち上げて終わりではなかった。第一国立銀行の経営に携わりながら、後に続く銀行への助言、銀行実務の共有、銀行間の送金網づくりに関わっている。1877年には択善会を設立し、銀行同士が情報を交換し、政府へ共同で提案する場をつくった。日本銀行金融研究所の解説は、『雨夜譚』や『渋沢栄一伝記資料』、銀行関係の資料をもとに、国立銀行制度への関与や三井・小野への働きかけまでを含めて経緯を追っている。条文だけでは制度は動かず、実務の作法と、業界としての窓口が要る。渋沢が担ったのはその部分だった、と言い換えることもできる。

明治期の銀行関係者が長机を囲んで会合する様子

約500社という数の読み方

渋沢が関わった会社は約500社とされる。渋沢栄一記念財団の解説によれば、この数は設立・経営に関わった会社の数であり、すべてを本人が設立したという意味ではない。本人による設立に加えて、助言、資金や人材の集め方、経営への関与、仲裁などが含まれる。数百社という数字は、一人の手腕の大きさをそのまま表す数というより、どの関わり方までを一社として数えたかという定義の記録に近い。数が大きいほど、定義を確かめる手間も増える。

1871年から1899年、制度の時間

金融制度の年表を広げると、渋沢一人の名で埋まる欄は多くない。円を単位とする新貨条例の布告は1871年、日本銀行の開業は1882年、日本銀行券の発行開始は1885年、国立銀行紙幣と政府紙幣の通用が停止して紙幣が統一されたのは1899年である(日本銀行「沿革 1850年~」)。渋沢の役割を国立銀行制度と第一国立銀行の設立・育成への貢献として述べると、この年表と齟齬がない。円の制定から紙幣統一までを一人の功績としてまとめてしまうと、1882年の日本銀行開業から1899年の紙幣統一までの経緯が見えなくなる。肖像が一万円札に選ばれた事情のほうは、発表と発行という別の日付の連なりとして残っている。

今、一行に残るもの

「渋沢栄一は何した人か」に一行で答えるなら、大蔵省で貨幣・銀行制度に関わった後に民間へ移り、第一国立銀行を拠点に銀行と会社の設立・育成に携わった実業家、ということになる。ただしその一行は、政府や出資者との協働を省いた一行でもある。どこまで省いて読むかは、年表を開く側に残る。

取材ノートに残すべき一行は、こうなる。「1873年6月11日、総会。12日、総監役。功績ではなく、順番。」