財布の中の紙幣で、毎日の支払いが済む。その当たり前を支えているのは、法律の一文である。現行の日本銀行法第46条は、日本銀行が銀行券を発行し、その日本銀行券を法貨として無制限に通用させると定めている(日本銀行法)。
だが明治の前半、紙幣は一つではなかった。政府紙幣があり、国立銀行紙幣があった。それらが日本銀行券にまとまるのは1899年12月。日本銀行の開業から17年後のことだ。1882年10月10日、1885年5月9日、1899年12月。三つの日付を手がかりに、日本銀行の歴史の最初の区間をたどる。
1877年、西南戦争のあとの物価
日本銀行の誕生には、その前の混乱がある。明治維新後の政府は、正貨と交換できない不換紙幣の発行に頼っていた。1877年に西南戦争が起きると、政府紙幣と国立銀行紙幣が大量に発行され、インフレーションが起きた(日本銀行「日本銀行創立の経緯について教えてください。」)。
紙幣が増え、その価値が揺らぐ。この状況に対して松方正義が示した道筋は、明快だった。不換紙幣を整理する。正貨と交換できる銀行券を発行する中央銀行をつくり、通貨の価値を安定させる。そして、その中央銀行を中核に、銀行の仕組みを整える。
その時、何が問われていたのか。構想の中心にあったのは、紙幣を正貨と結びつけ、その価値を支えることだった。
1882年10月10日、紙幣を出さない開業
1882年6月、日本銀行条例が制定・公布された。資本金は1,000万円、営業年限は30年。同じ年の10月10日、日本銀行は開業する。

意外に思われるかもしれないが、開業した日本銀行は、すぐには紙幣を出していない。最初に担ったのは、預金の取引、貸出、為替、国庫金の取扱い。そして、すでに世に出ていた国立銀行紙幣の整理と消却である。
中央銀行の出発点が、紙幣を増やす仕事ではなく、減らす仕事だったこと。発行の制度を整えるのは、その次の段取りだった。
1885年5月9日、最初の日本銀行券
1884年、兌換銀行券条例ができる。これにより、日本銀行は銀貨と交換できる「日本銀行兌換銀券」を発行することになった。
最初の一枚は10円券で、1885年5月9日の発行。1円券と100円券が同年9月8日、5円券が翌1886年1月4日に続いた。券種は四つ、発行日は三つに分かれる。
記者時代、取材ノートの日付を取り違えて訂正を出したことがある。その記憶があるので、こうした日付の並びは一つずつ照らし合わせないと落ち着かない。10円券が先に出て、ほかの券種はあとから加わった。並びを追うだけで、紙幣の顔ぶれが一度にそろったのではないことが見えてくる。
1897年10月、銀から金へ
1897年10月、貨幣法が施行され、日本は金本位制を確立した。日本銀行券の裏付けも変わる。銀貨との交換から、金貨との交換を保証する仕組みへ。紙幣を正貨と結びつけるという考え方は保たれたまま、基準となる金属が替わった、と読むこともできる。
1899年12月、紙幣は一つになる
1899年12月、政府紙幣と国立銀行紙幣の通用が停止された。紙幣は日本銀行券に一元化される。西南戦争のあと大量に出回った二種類の紙幣が、ここで役目を終えた。

日本銀行が、ただ一つの銀行券の発行を担う。通貨制度の中心としての基礎が、この時に整った。
1882年から1899年、三つの日付をつなぐ
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1877年 | 西南戦争。政府紙幣・国立銀行紙幣の大量発行とインフレーション |
| 1882年6月 | 日本銀行条例の制定・公布(資本金1,000万円、営業年限30年) |
| 1882年10月10日 | 日本銀行が開業 |
| 1884年 | 兌換銀行券条例 |
| 1885年5月9日 | 10円券を発行 |
| 1885年9月8日 | 1円券・100円券を発行 |
| 1886年1月4日 | 5円券を発行 |
| 1897年10月 | 貨幣法施行、金本位制の確立 |
| 1899年12月 | 政府紙幣・国立銀行紙幣の通用停止、日本銀行券に一元化 |
三つの日付のうち、どれを「誕生」とみるかで見え方が変わる。1882年10月10日は、組織としての始まり。1885年5月9日は、日本銀行が紙幣の発行者になった日。1899年12月は、その紙幣がただ一つの紙幣になった時点である。
開業、発行、統一。その間には、国立銀行紙幣の消却、兌換の仕組みづくり、本位制度の切り替えが挟まる。一つの条例で中央銀行が出来上がったのではなく、段階を踏んで通貨制度の中心に据えられていった。そういう読み方ができる。
1942年、1997年、そして今の条件
その後、日本銀行の土台となる法律は替わっている。1942年に日本銀行法が制定され、1997年に全面改正、改正法は1998年4月に施行された。
現行法が日本銀行に求めるのは、銀行券の発行に加えて、通貨・金融の調節、金融機関の間の資金決済を円滑にすること、そして信用秩序の維持である。明治の日本銀行が正貨との交換を軸に紙幣の価値を支えようとしたのに対し、今の条文に並ぶ役割はずっと幅が広い。同じ名前の銀行でも、置かれた条件は明治とは大きく異なる。
時代が下ってからの場面は、各国の財務大臣と中央銀行総裁が声明を出した1985年のプラザ合意を資料でたどった記事や、1989年の株価最高値からバブル崩壊を追った記事で振り返っている。
正貨との交換を軸に、段階を重ねて通貨の中心に立った銀行。その紙幣が受け取られる理由は、明治と今とで、どこまで同じなのだろうか。