ニューヨーク南部地区連邦破産裁判所。2008年9月15日、リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが、米連邦破産法11章の適用を自ら申請した(同社の提出資料)。

日本で「リーマンショック」と呼ばれる出来事は、この一日を中心にしている。ただし、法律や制度で定められた用語ではない。米国の住宅ローン市場の悪化が、時間をかけて世界的な金融危機へ広がった過程全体を指す通称である。「いつ」と問われれば9月15日と答えられる。けれども、その答えだけでは経緯が見えてこない。

取材ノートの日付を取り違え、訂正を出したことがある。以来、出来事はまず日付を並べ直すところから読むようにしている。2008年は、地方紙で金融担当デスクを務めた年だった。その秋を、三つの日付で振り返る。

2008年秋、三つの日付

リーマンショックを読むための三つの日付
日付 出来事
2008年9月15日 リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが破産法11章を申請
2008年9月16日 リザーブ・プライマリー・ファンドの純資産価値が1ドルを下回る
2008年10月3日 米国で緊急経済安定化法が成立、TARPの権限が定まる

米財務省も、この数週間を時系列で示し、リーマンの破産申請によって危機が重大な段階に入ったと説明している(米財務省「About TARP」)。ただ、三つの日付の前には長い助走があった。

2007年から2008年3月、住宅ローンの揺れ

始まりは米国の住宅ローンだった。住宅価格が下がり、サブプライム住宅ローンで延滞と損失が増えていく。IMFは2007年4月の報告で、サブプライム市場の悪化が予想より速く、影響は当時まだ限定的ながら、他の市場へ広がる可能性があると指摘していた。

その可能性は、証券化という仕組みを通じて現実になる。住宅ローンを組み込んだ証券化商品が広く保有されていたため、不安はローンそのものから、証券化商品やストラクチャード・クレジット市場へと移った。2007年初頭に懸念が広がり、夏には資金調達市場が混乱。年末から2008年初めにかけて、関連する損失が膨らんだ。IMFは2008年1月の時点で、問題がサブプライム以外の信用分野にも及んだと整理している。

2008年3月、ベアー・スターンズが救済・買収された。金融機関の資金繰りと、金融システム全体に連鎖するリスクへの懸念が強まる。9月に入ると、ファニー・メイとフレディ・マックが公的管理下に置かれた。

2008年9月15日、破産申請

半年前のベアー・スターンズとは違い、リーマン・ブラザーズは破産法11章の手続きに入った。同じ9月のうちに、メリルリンチの売却、AIGの救済が相次ぎ、危機は一段と深刻になる。

イングランド銀行は2018年9月の回顧で、この日の崩壊が世界の金融システムと実体経済に衝撃を与えたと総括している(Bank of England「The Financial Crisis – 10 Years On」)。

2008年9月16日、1ドルを割ったファンド

では、翌日に何が起きたのか。リーマンへの債権を持っていたマネー・マーケット・ファンド(MMF)、リザーブ・プライマリー・ファンドの純資産価値が1ドルを下回った。これをきっかけに、MMFから大規模な資金流出が始まる。資金の逃避は、CPやレポで短期資金を調達する発行体を圧迫し、短期金融市場の流動性を悪化させた(FRBの研究論文)。

一つの会社の破綻が、翌日には別の商品の値に表れる。つながりが、目に見える形になった日である。

米連邦準備制度は9月にABCP向けのMMF流動性ファシリティを設け、10月にはCPFFとMMIFFを設置して、商業用CP市場と短期資金調達の機能回復を図った(FRB 2008年年次報告)。

2008年10月3日、緊急経済安定化法

議会も動いた。10月3日、緊急経済安定化法が成立。第101条は財務長官に不良資産救済プログラム(TARP)を設ける権限を与え、問題資産を買い取って金融システムの流動性と安定性を回復させることを目的に掲げた。初期の購入権限の上限は2,500億ドル。上限を段階的に広げる規定も、第115条に置かれた(同法の条文)。

2008年から2009年、国境を越えた連鎖

三つの日付をつなぐと、危機が米国の外へ出ていった道筋も見えてくる。米国の住宅ローン関連商品は、各国の金融機関や投資家のバランスシートに組み込まれていた。国境を越える資本移動と短期資金市場を通じて、信用の収縮は海外へ伝わった。IMFの2009年5月の論文は、9月15日の破綻を、新興国への急速な金融波及をもたらした重要な出来事と分析している(IMF Working Paper)。

影響は金融市場にとどまらなかった。IMFは2009年4月の世界経済見通しで、金融危機と信認の喪失によって世界経済が深刻な景気後退に入ったとし、2009年の世界の産出を前年比マイナス1.3%と予測した(IMF「World Economic Outlook」2009年4月)。確定した実績ではなく、渦中で示された見通しの数字である。

2007年から2009年、日付のあいだ

「リーマンショックはいつか」という問いには、2008年9月15日と一行で答えられる。けれども、その一日の前には1年半ほどの揺れがあり、翌日にはファンドの元本割れ、翌月には法律の成立が続いた。一つの日付は、前後の日付と並べて初めて輪郭を持つ。日本のバブル崩壊を1989年の株価最高値から1991年の景気の山までたどった記事でも、転換点は一つではなかった。

過去の危機を、これから起きる相場の予告として読むことはできない。それでも、この秋から手元に置いておけるものが一つある。破綻がどこで起きたかと同じくらい、その衝撃がどの経路を通って遠くの市場へ届いたかに目を向けること。9月16日のファンドのように、揺れは破綻した会社の外で形になることがある。