2026年2月25日に公開された一本のレポートが、「失われた30年」という言葉には明確な定義がないと書いている。みずほリサーチ&テクノロジーズのエグゼクティブエコノミスト門間一夫によるもので、1990年代前半のバブル崩壊後に「失われた10年」という言い方が生まれ、その後も低成長が続いたことから「20年」「30年」へ延びていった、という説明である。三十年という長さは、公的に統一された起点から数えた名称ではない。後ろから伸びてきた呼び名。
では、いつからなのか。候補を遡っていくと、株価の天井、景気循環の山、成長率の屈折、そしてバブルの形成そのものという、別々の時点に行き着く。
1989年12月、「通過点」と書いた一行
当時は証券担当だった。1989年、年末の高値を「通過点」と書いた。来年も上がるという前提で書いていた。その一語は、起点の只中では転換を見抜けなかった記憶として残っている。起点がいつかという問いが厄介なのは、起点の只中にいる人間には、そこが起点に見えないからである。
1989年12月末と1990年9月末、株価の二つの数字
株価を節目に取るなら、答えは1989年12月になる。財務省財務総合政策研究所の政策史資料は、日経平均株価が1989年12月末に38,915円87銭の最高値をつけ、1990年9月末には20,984円まで下落したと記録している。二万円台。ただし同じ資料の本文は、バブル崩壊そのものは1991年に始まったと書く。株価のピークと崩壊の開始年が、一つの資料のなかで別の年として並んでいる。
1991年2月、景気基準日付の山
公的な判定に寄せるなら、1991年2月である。内閣府経済社会総合研究所の景気基準日付では、第11循環は1986年11月を谷、1991年2月を山、1993年10月を次の谷とする。拡張51か月、後退32か月。CI採用系列から作成するヒストリカルDIなどをもとに設定される月であり、景気の転換点を示すものではあっても、「失われた30年」という語の定義として置かれたものではない。
1991年度、成長率はどう鈍ったか
成長率で見ると、1991年は崖というより傾斜である。1992年の経済白書は、実質GDP成長率が1987~1990年度平均の5.2%から1991年度は3.5%へ鈍ったと記し、1991年後半から景気が調整過程に入ったと説明した。四半期の前期比年率換算は、第1四半期6.7%、第2四半期4.0%、第3四半期1.7%、第4四半期-0.1%。その一年のなかで、数字は段を下りるように落ちている。単年のGDPが一挙に縮んだわけではない。白書はこの減速の始まりを1990年末に置いており、山と判定された1991年2月より早い時点から、速度の鈍りはすでに記録されていたことになる。
| 項目 | 実質GDP成長率 |
|---|---|
| 1〜3月期 | 6.7 |
| 4〜6月期 | 4 |
| 7〜9月期 | 1.7 |
| 10〜12月期 | -0.1 |
1985年、起点を前に置く見方
起点をもっと手前に置く読み方もある。2016年2月26日に公開された記事で、土谷英夫は、一般には地価バブルが崩れた1991年から数えるとしたうえで、自身はバブルの起点である1985年から数えるという異論を示した。背景に置かれるのは、1985年9月のプラザ合意とその後の円高である。一方、経済産業研究所が紹介する深尾京司らの研究は、1990年代を「失われた10年」と呼び、2000年代も成長が以前の勢いを取り戻さなかったことから、バブル崩壊後の停滞を「失われた20年」として分析している。数える単位も、起点も、論者によって違う。同じ三十年という言葉を使っていても、数える人によって振り返る年数そのものが違う。

資産価格の調整、どこまでを数えるか
なぜ揃わないのか。先の政策史資料は、株価と地価の下落が資産価値を減らし、不良債権を増やし、企業や家計の返済負担、金融機関の貸出停滞へつながっていく道筋を説明している。株価の天井、景気の山、成長率の屈折は、いずれも一時点にすぎない。その後に続いた資産価格の調整と低成長を、どこまで「失われた」に含めるか。そこで数え方が分かれる。資産価値の減少から貸出停滞へ広がる過程は、一つの日付に絞り切れない。1990年の利上げと総量規制までを含む崩壊の経緯を一つの線で追うと、転換点が一日や一か月に収まらないことが見えてくる。
2026年の呼び名と、ノートの一行
2026年のレポートが「明確な定義がない」と書くのは、言葉が後から伸びたからだ。「失われた10年」と呼ばれた後も低成長が続き、「20年」「30年」という表現へ延びていった。だとすれば「いつから」の答えは、1989年12月、1991年2月、1991年度、1985年という候補のどれを選ぶかではなく、何を失われたとみなすかという問いの側に置かれている。株価の天井で区切るか、景気の山で区切るか、成長率の折れ目で区切るか、バブルの形成までさかのぼるか。何を基準にするかによって候補は変わる。ただし、一般的には1991年ごろが起点とされ、1985年はバブル形成過程まで含める論者の見方である。どの判断が何を遅らせたのかという問いも、同じ場所から出てくる。
今も覚えているのは、あの一行だけだ。通過点、と。
- 門間一夫「失われた「20年」「30年」「40年」~深まるK字型への懸念~」みずほリサーチ&テクノロジーズ、2026年2月25日
- 土谷英夫「失った30年——動く円に振り回されて」nippon.com、2016年2月26日
- 「「失われた20年」の構造的原因」経済産業研究所