「日経平均3万8915円、大納会で史上最高値」。見出しは短い。数字が一つと、「最高値」の三文字。1989年12月29日、日経平均株価はこの終値で一年の取引を終え、史上最高値を記録した(日本経済新聞)。

バブル崩壊とは、低金利のもとで設備投資や住宅投資、個人消費が膨らみ、地価と株価が異常なほど高騰したあと、資産インフレを抑える金融引き締めで資産価格が大きく下がり、長い低迷につながった一連の動きを指す(内閣府)。この見出しの後に何が続いたのか。日付の順に並べ直す。

1989年12月、高値は通過点だったのか

当時の問いは一つだった。この数字は途中の一段なのか、それとも頂上なのか。

その暮れ、証券担当として年末の相場を書き、高値を「通過点」とした。縮刷版で読み返すと、数字は正しく、見立ては外れている。

1990年1月だけで、日経平均は1,726円92銭下がった(トウシル)。最高値の38,915円87銭から引くと、1月末は37,189円前後。下落は年末まで続き、1990年12月には23,000円台に入った(わらしべ瓦版)。

1989年5月から1993年10月、利上げと景気の年表

公定歩合・株価・景気の動き
日付 出来事
1989年5月31日 公定歩合を3.25%に
1989年10月11日 公定歩合を3.75%に
1989年12月25日 公定歩合を4.25%に
1989年12月29日 日経平均が終値3万8915円、史上最高値
1990年1月 日経平均が1か月で1,726円92銭下落
1990年3月20日 公定歩合を5.25%に
1990年3月27日 大蔵省が不動産融資の総量規制を通達(4月実施)
1990年8月30日 公定歩合を6.00%に
1990年12月 日経平均が23,000円台に
1991年2月 景気の山(第11循環)
1993年10月 景気の谷

公定歩合は日本銀行の推移表、景気の山と谷は内閣府の景気基準日付による。引き締めは1年3か月にわたり、3.25%から6.00%へ段階を踏んだ。

株価は1990年に崩れ始めたが、景気の山は1991年2月。後退はそこから1993年10月まで続いた。

1990年3月27日、蔵銀第555号の通達

年表の中で、一枚の文書として残るのがこの日の通達である。題名は「土地関連融資の抑制について」。文書番号は蔵銀第555号、発出元は当時の大蔵省銀行局。官報には載らず、『銀行局現行通達集』などの業務用の出版物に収められた(国立国会図書館 レファレンス協同データベース)。

中身は二つに分けて読める。一つは、不動産業向け融資の伸び率を、金融機関の総融資の伸び率以下に抑えること。もう一つは、不動産業・建設業・ノンバンク向け融資の実態調査(東洋経済オンライン)。通達は4月から実施され、狙いは地価高騰の抑制にあった(日本経済新聞)。

いわゆる「総量規制」。名前から受ける印象とは違い、文面の軸は伸び率の比較に置かれている。

1990年から1993年、三つの読み方

この数年の読み方は、一つに決まらない。

一つめは、金融政策から読む見方。内閣府の整理は、資産インフレを抑えるための引き締めが資産価格の大きな下落につながったと説明する。年表に並ぶ利上げの日付は、この読み方と重なる。

二つめは、融資の流れから読む見方。総量規制は地価を抑えるために、不動産へ向かう資金に手を入れた。ただ、株価の下げは1月にもう始まっており、通達はその最中の3月に出ている。株価の動きを通達だけで説明するには、順番が合わない。

三つめは、景気の側から読む見方。株価の最高値から景気の山まで1年2か月、山から谷まではさらに2年8か月。資産価格と景気は、同じ月に向きを変えていない。

三つの時計が別々の速さで進んでいた、と見ることもできる。どの時計を中心に置くかで、同じ年表の見え方は変わる。

1990年、大蔵省銀行局と公定歩合の時代

当時の道具立ては、その時代に固有のものだった。政策金利は「公定歩合」の名で語られ、融資を抑える手段は官報に載らない銀行局の通達だった。発出元の名前にも、当時の行政の形が映っている。

低金利がどこから続いていたのかは、1985年のプラザ合意と、その後の円高・利下げをたどった記事で扱った。1989年の最高値や1990年の下落を、今の相場の先行きに重ねて読むことはしない。条件が違えば、日付の並び方も同じになるとは限らない。

図書館からの帰り、取材ノートの新しいページに一行だけ書いた。「最高値の日付と、下がり始めた理由の日付を、同じ行に書かない」。